福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年6月23日(日)礼拝メッセージ

「祝福の継承」

葛西説教20240623

1.テキスト「Ⅰサムエル3:121

2.タイトル「祝福の継承」

3.中心聖句「Ⅰサムエル3:9

「主よ。お話しください。しもべは聞いております」

4.本文「祝福の継承」

 序)「預言者サムエル」

 最後の士師(さばきつかさ)と言われ(Ⅰサムエル7:16)、また、最初の預言者(使徒の働き3:24)とも呼ばれるサムエルが現れたのは、国の内外に危機的な状況が現れている時代でした。外には、ペリシテの勢力がイスラエルに押し迫っていました。内には、祭司エリの息子たち堕落(2:12172225)に象徴されるように、神への不敬虔な態度が蔓延し、神との親しい関係は損なわれていました(Ⅰサムエル3:1)

 しかし、どのような時代にも、神はご自身のみわざのためのご計画を持っておられます。そして、その計画は、神のみ声を聴き、神に従う人々を通して進められていきます。サムエルは、まさに神のご計画の中で備えられ用いられた、神の人、神の器でした。

 サムエルは、王、祭司、預言者としての働きを担う民のリーダーでしたが、彼の時代から後、これらの三職は、分かれて立てられていくことになります。彼は、まさに時代の変わり目に立てられて用いられた、神の器でした。

 

本論)「祝福の継承」

Ⅰ「エリの子ではなくサムエルが選ばれる」

 カナンの地に入ったイスラエルは、宝の民、祭司の国、聖なる民になるはずでした。そのために十戒も与えられました。しかし、その後のイスラエルの歴史は、偶像礼拝や異民族による支配と、士師による回復の繰り返しでした。そのような中、サムエルは、敬虔な母親ハンナの祈りによって生まれます。そしてエフライム族ではありましたが、祭司エリ(レビ族)にあずけられ、シロにあった主の宮(契約の箱が置かれていた幕屋)で主に仕えて成長します。

しかしそこでは、エリの息子たちが、祭司でありながら神への捧げ物を私物化し、姦淫の罪を犯していました(Ⅰサムエル2:2226)

 サムエルが12歳になった頃、神は主の宮で寝ていた彼に、3度も呼びかけられました。彼はそれをエリが呼んでいると誤解しますが、エリに教えられて、4度目には「主よ。お話しください。しもべは聞いております」と応えます。その時、主なる神は(Ⅰサムエル3:1214)「エリの家についてわたしが語ったことをすべて、初めから終わりまでエリに果たそう。わたしは彼の家を永遠にさばくと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ。だから、わたしはエリの家について誓った。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない。」と告げられました。主なる神がエリではなく、まだ少年であったサムエルに語られたことは、神に仕える務めがエリからサムエルに移されたことと、彼が、預言者としての使命を果たし始めたことを意味するのです。その後、(Ⅰサムエル3:19)「主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった」のです。祭司の子孫だから祝福を受けるのではないのです。イスラエル民族は、信仰の父アブラハムの子孫だから祝福されると考えていました。しかし、偶像を礼拝し、混血し、信仰を失うなら、祝福を失っていくのです。祭司エリの失敗は、息子たちを戒めなかったことでした(Ⅰサムエル3:13)。罪を放置する者ではなく、素直に預言を受ける者が祝福を受け取っていくのです。

 

.「サムエルの子ではなくサウルが選ばれる」

 サムエルは、生涯、神のことばに従う毎日を送り、エリに対してもサウルに対しても、彼が聞いた神のことばを明確に語ります。また彼は、民のために祈ることにも熱心でした。(Ⅰサムエル12:23)「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない」と言って、祭司の働きも行っていたのです。

 しかし、サムエルが老齢になったとき、彼の息子たちは正しい道を歩まなかった。そこで民は将来を心配して、(Ⅰサムエル8:5)「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」とサムエルに願うのでした。そこで神は、王制の危険性をくどいほど警告した上で、王を立てることを許され、サウルという若者に王のしるしである油注ぎをするように命じられました(Ⅰサムエル6:16)

 サムエルの失敗もまた子育てでした。年老いるまで自分が権威を持ち続け、移譲しなかったため、子どもたちが自立しなかったのではないでしょうか。今度はサムエルの子どもたちが正しいさばきができませんでした。親が祭司であれ、預言者であれ、それゆえに祝福が約束されるのではないのです。

 

.「サウルではなくダビデが選ばれる」

 サウルは、自分は最も小さなベニヤミン部族の最もつまらない一族だと、王になることを断ろうとします(Ⅰサムエル9:21)。しかし(Ⅰサムエル10:6)「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えら」、預言さえするようになり、民の多くも彼を王と認めます。しかしその後、サウルは外敵を打ち破って王として成功していく間に、次第に傲慢になっていきます。まず、サムエルが来るのを待たずに、自分の手で燔祭をささげます(Ⅰサムエル13:9)。また、(Ⅰサムエル15:3)「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ」との主なる神の命令に従わず、(Ⅰサムエル15:15)「民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです」と。そこでサムエルは、(Ⅰサムエル15:22)「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」とサウルを厳しく戒めます。その後、(Ⅰサムエル15:35)「サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった」のでした。

 今度は子どもの話ではなく、本人の不信仰と傲慢が原因でした。王もまた不信仰になれば神の祝福を止めてしまいます。王だから、王の子孫だから、祝福されるのではありません。神が選ばれて立てられ、神に従うからこそ、祝福されるのです。それゆえ新たな王ダビデが選ばれたのです。

 

結論)「祝福の継承」

 祭司、預言者、王の子孫だから自動的に祝福されるのではありません。イスラエルの民も選民だから自動的に祝福されるのではありません。神はいつも最善を行われ、豊かな祝福を与えておられます。しかし人間は不信仰のゆえに祝福を受け取らず、だいなしにしてしまいます。神の祝福は、信仰によって受け取るものなのです。

 

 

東京都江戸川区東葛西6丁目37-3 福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 かさいふくいんきりすときょうかい 
神に祈る少年サムエル