福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年7月2日 礼拝メッセージ

「一歩踏み出す」

葛西説教20230702

1.テキスト「ヨシュア3:1-17

2.タイトル「一歩踏み出す」

3.中心聖句「ヨシュア3:15.16

4.本文「一歩踏み出す」

 序)「信仰の報酬」

 本日の説教タイトルは「一歩踏み出す」です。

 神に最も近い人とは、神が不思議を行われることを信じることのできる人である。現代人はその感覚を失っていると、神学者は言う。モーセの時の事件と同様、足を川に踏み入れたら水がせき止められるなど、常識では考えられません。だから神の全地全能と、その神のみことばを信頼し、「一歩踏み出す」ことができる行動には報酬があるのです。信仰にはすばらしい報酬が待っています。神を信じる力には、すごい力があるからです。神に従って「一歩踏み出す」なら、神は私たちの信仰を見られ、働いて、戦ってくださるのです。神がそうすると言われたことは、必ずその通りになります。皆様はどれぐらい信じていますか。祭司が、水いっぱい流れている川に足を入れたぐらい、信じていきましょう。

 

本論)「一歩踏み出す」

.「ストーリ」

 イスラエルの民は、カナンの地を目の前にして、ヨルダン川のほとりに宿営しました。三日後、つかさたちはその宿営を行き巡り、「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない」、「それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ」と、人々に命じました。これは、神を信じて救われた人は、神に導かれて、神と一緒に前進するということを表しています。

 そして、ヨシュアは民に向かって、「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから」と命じました。

 次の日、ヨシュアは祭司に向かって、民の先頭に立ってヨルダン川を渡るように命じました。祭司たちはヨシュアの命令に従って、祭司の箱をかき上げ、民の先頭に立ってヨルダン川に進みます。そこで、神はヨシュアに「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう」と言われました。これは、神がモーセとともにおられたように、ヨシュアとともにおられることを民に示すという意味です。そして、ヨシュアは、民の前で、神のことばを伝えました。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、(敵を)必ず追い払われる」、(そのしるしとして)主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下ってくる水がせきとめられ、せきをなして立つようになる」と。

 こうして、イスラエルの民はヨルダン川を渡るために天幕を出発しました。祭司たちは、契約の箱を担いで先頭を進みます。そして、なんと祭司の足がヨルダン川の水際に浸ると同時に、上から流れくる水はせき止められたではありませんか。ヨルダン川は、はるかかなたまで立ち上がり、かわいた川底があらわれました。そして、祭司たちは契約の箱を担いだまま川の中に立ち続け、民の全員がかわいた川底を渡り終えたのです。

 

.「ここで語られる真理とは」

 モーセに導かれてエジプトを脱出したときのことを思い出してください。紅海が二つに分かれた時、先に海が分かれて、そこをイスラエルの民は渡りました。これは、信仰による救いを表しています。神がすでにしてくださった御業があって、それを受け取ることが信仰です。しかしヨルダン川がせき止められた時は、祭司たちが川に一歩踏み入れた時、ヨルダン川はせき止められたのです。これは、神を信じる者が神とともに一歩踏み出して前進するところに、神の祝福が待っているということを表しています。

 これからイスラエルの民は約束の地を獲得してゆかなければなりません。そこには城壁の町があり、巨人や武器を備えた敵がいます。神が彼らに自動的に勝たせて、約束のものを与えてくださるのではありません。民が神とともに、神に導かれて、踏み出していくなら、約束のものを獲得することができるのです。

 

.「あなたはどうしますか」

 私たちも、神を信じて、永遠のいのちが与えられたら、それでいっちょう上がりではないのです。そこから、いつも神とともにいて、神に導かれる生活が始まります。そして、自分のわがままが正されていったり、仲良くできなかった人と仲良くできたり、父母たち、子どもたちとよく話し合えるようになったりできていくものなのです。

 

まとめ)「一歩踏み出す」

 皆様は、神とともにいますか。神に導かれていますか。神とともにチャレンジしていますか。あなたの取るべきものを知り、チャレンジしましょう。そこに神の祝福が待っています。 

また、信仰の戦いはいつも新しい道であるから、神の導きがなければ、人間の知恵と力によっては迷うのみです。「あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ」と。