福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

終活セミナー 講演映像資料 講師:西田健さん(10/15)

2023年10月15日(日)礼拝メッセージ

「死んでも生きる」

葛西説教20231015

1.テキスト「ヨハネ111節~44節」

2.タイトル「死んでも生きる」

3.中心聖句「ヨハネ1125節」

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

4.本文「死んでも生きる」

 序)「いつかは死ぬ」

 もし、あなたのかわいがっていたペットが、死んでしまったというつらく、悲しいことはありませんでしたか?ペットが死ぬことはとても悲しいですが、もっとつらいのは仲の良い友人がある日突然死んでいなくなるとか、大切な父や母とか、兄妹とか、大事なおじいさん、おばあさんが死ぬことなのではないでしょうか。皆さんの中には、そのようなつらい思いをした人もいるのではないでしょうか。全ての生きとし生ける者は、動物であっても、人間であっても、いつかは必ず死ぬのです。それは避けられない真実です。

 しかし、本日のメッセージのタイトルは、「死んでも生きる」です。これは今お読みしたみことば、ヨハネ1125節、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」の一部から取ったものです。

 ではなぜ「いつかは死ぬ」人間が、「死んでも生きる」のでしょうか。それが本日、私たちが聖書から教えていただくことであり、イエスを信じる理由なのです。

本論)「死んでも生きる」

.「絶望」

 私たち人間は「いつかは必ず死ぬ」のです。それは、全く、絶望という以外にありません。人間の最後が死ならば、一体なぜ生きるのか、何のために生きるのか、と言いたい時もあるでしょう。本日学ぶ聖書には、弟ラザロが死んでしまって絶望の涙にくれているマルタとマリヤがいます。そこにイエスがおられなくて、とうとう病気が重くなって死んでしまいました。しかも、イエスに知らせが届いたのに、なお2日行くのが遅れたので、イエスがラザロに会いに行った時にはもう死んで4日もたって、臭くなってしまっていました。ベタニヤ村は、悲しみと絶望に沈んでいました。人々はそこにイエスが来られても絶望一色でした。思い出せば、かつてヤイロの12歳の娘や、ナインのやもめの一人息子を死からよみがえらせたことのあるイエスだったのに。「わたしはよみがえりです。いのちです」とマルタに言っても、マルタはまさかその場でラザロをよみがえらせてくださるなんて、とても信じられず、「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております」と答えました。ラザロの墓、そこには大きな石が置かれています。絶望と語っているようですね。イエスは、涙を流されました。イエスはこのように罪と死の力に押さえつけられている人を憐れみ、そのようにしたサタンへの怒りを覚えつつ、思わず涙を流されました。人々は「ああなんと彼を愛しておられたことか」と感動して言う人もあれば、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」と言う人もありました。イエスはまた心を動かされて洞窟の墓に入り、「石を取りのけなさい」と言われました。「もう4日もたって、臭くなっています」と言うマルタに「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」と言われ、人々が石を取りのけると、イエスは、目を天に向けて祈られました。父なる神を信じて。

.「希望」

 そして、大きな声で呼ばわったのです。「ラザロよ、出て来なさい」、するとどうでしょう!手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、死んだラザロが出て来たのです。何ということでしょうか!「わたしはよみがえりです。いのちです」と言われたイエスは、死人さえもよみがえらせる力のある方だとハッキリと示されました。こんな力、こんな愛、こんな希望、他にどこにあるでしょう?イエスは、死も命も支配される方です。これはその後1週間あまり後に、私たちの罪のために十字架にかかり、3日目に父なる神によみがえらされたイエスのことも示す出来事でした。ラザロは、その後何年生きたでしょうか。でも、肉体の命は死にました。しかし、イエスはよみがえって今も生き続けておられます。そして、やがて再び天からイエスを信じる私たちを迎えに来られます。その時、まず信じて死んだ人々がよみがえらされて、イエスと同じく輝くよみがえりの栄光の御姿になって、空中におられるイエスのところに引き上げられ、次に生き残っている人々が一瞬のうちに、よみがえりのからだに変えられて空中でイエスと会い、そして永遠にイエスと共に過ごすのです。

 

 

 皆さん、聖書は教えます。「わたしはよみがえりであり、いのちです」と。ですからイエスを信じる人には、もう死は絶望ではありません。天国でまた会える希望、永遠に生きる希望に輝いて毎日を送ることができるのです。

 ですから、皆さん、イエスを信じてください。そうするならあなたにとって死は絶望ではなくなります。よみがえりの希望、天国への希望、永遠に生きる希望が与えられます。そればかりでなく、この地上に生きている間もそのイエスから与えられる「いのち」によって、日々の生活に喜びと希望が与えられるのですから。

 

 また、クリスチャンの皆さん、私たちはこのイエスのいのちの希望が与えられていることを今、感謝しましょう。そして家で、教会で、会社で、生きている間中、感謝しましょう。そしてこのイエスのいのちについて多くの人々に伝道しましょう。