福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年5月5日(日)礼拝メッセージ

「聴き従う信仰」

葛西説教20240505

1.テキスト「Ⅰサムエル15:17-23

2.タイトル「聴き従う信仰」

3.中心聖句「Ⅰサムエル15:22

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

4.本文「聴き従う信仰」

 序)「あらすじ」

 サムエルは成長し、預言者としてイスラエルの国を長く指導しました。彼が老いたとき、民は後継者を求め、神を知らない他の国々と同じに、王様が欲しいと願いました。そこでサムエルは、神の許しもありましたので、王様を立てました(8:19-22)。それがサウル王です。しかし、サウルはサムエルのようには神に忠実ではありませんでした。彼は、王様になった直後、すでに神の命令に従わず、自分勝手に燔祭をささげました(13:8-14)。これは神の求められる生き方ではありません。本日は、神の前に生きる上で重要なこと、それは聴き従う信仰であることを教えられましょう。「キリストには希望がある」のはそのような人です。

 

.「王だから聴き従うことが大事」

 サウルは勇敢な王様でしたので、ペリシテ人をはじめとしてイスラエルを苦しめていた敵を打ち破り、すべて向かうところで勝利を収めます(14:47-48)。さらに神は、出エジプトの時にイスラエルを苦しめたアマレクに勝ち、(15:3)「そのすべてのものを聖絶せよ」とサウルに命じられました。しかし彼は、王アガグを生け捕りにしました。また(15:9)「すべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好ま」なかったのです。

 (15:3)「聖絶」することは、現代人の目から見れば残酷なように思えます。しかし、これは神のものは神のものとし、人のものとして用いないことを意味することばです。ですから、 様々な訳がありますが、「神のもの」という意味、「聖」のことばが含まれる「聖絶」という新改訳第三版の訳が一番ふさわしいと私は思います。

 神の命令に従わなかったサウルを、サムエルは、(17)「イスラエルの諸部族のかしらではありませんか」と裁きます。王様である者が人々に模範を示さないことは非常に悪いことなのです。王様に一番必要なことは、敵を打ち破ることではなく、神に従うことなのだと、サムエルは言うのです。

 

Ⅱ.「使命を果たすために聴き従うことが大事」

 さらにまたサムエルは、(18)「主はあなたに使命を授け」と言います。アマレク人を滅ぼし尽くすことは、サウル王に授けられた使命でした。イスラエルの長い歴史の中で、「滅ぼし尽くす」ことが命じられたのはカナン先住民族に対してだけです。神のご計画を実現するために、サウルは選ばれ、王様とされました。それを果たさないことは、神のご計画よりも自分の考えを優れたものとすることに他なりません。神から授けられた使命を、自分勝手な考えで実行しないことは、神の思いを人間的な手段で知ろうとする占いの罪や、自分の好む者を神とする偶像礼拝の罪に等しいのです。

 聖書には時々、神はなぜこんなことを命じられるのかな、と思えることが書かれています。ギデオンに対する、「兵の数を少なくせよ」という命令もその一例です。しかし、そこには神のご計画があったのです。ギデオンの使命はそれを実現することでした。使命を果たすためには、命令の意味がその時は分からなくても、それに聴き従うべきなのです。

 

Ⅲ.「燔祭や犠牲よりも聴き従うことが大事」

 サムエルの裁きに対して、サウルは、(21)「神、主に、いけにえをささげるために、聖絶すべき物の最上の物として、分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです」と言い訳しました。神のために用いるなら、神のことばに従わなくても良いと思っていたのでしょうか。しかし、滅ぼし尽くすべきものは、元々神のものであるから、それを神にささげることなどできるはずもありません。あるいは、ささげ物の一部分は、あとで自分たちのものになるという欲の心が背後にあったのでしょう。

 (22)「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」というみことばは、すべてを明快に説明しています。どんなささげ物よりも、聴き従うことが大事なのです。神は牛や羊の脂肪を食べて喜ばれるのではありません。神が喜ばれるのは、ご自分の思いを理解して、それに聴き従って行動する人なのです。

 例えばサウルのように、高額な献金をしたのだから、聖書も、礼拝も第一にしなくても良いなどと考えることはあってはならないことです。奉仕や献身、信仰の決断、神の招きの声を聞きながら、従えないでいることはありませんか。神は、聖書のみことばに聴き従う者を、最も喜ばれます。

 

結論)「聴き従う信仰」

 

 「自分では小さいと思っても、あなたは神に選ばれたクリスチャンではありませんか」と、神はお語りになっています。クリスチャンがまず模範にならねばなりません。神のことばがあなたに臨むなら、それに聴き従うことを第一にしましょう。そこにこそ、あなたの、私たちの使命があるのです。聴き従うこと。それは、どんな多額な献金やささげもの、この世における地位や名誉よりも、はるかに大事なものなのです。