福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年7月30日(日) 礼拝メッセージ

「サムソン」

葛西説教20230730

1.テキスト「士師141節~20節」(士師131節~1631)

2.タイトル「サムソン」

 (神の約束を破って神から離れても、悔い改めるならば回復することを発見する。)

3.中心聖句「士師135節」

「その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。」

4.本文「サムソン」

 序)「聖別の力!」

 聖書は教えます。「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(Ⅱテモテ2章21節)と。

 すなわち、主のための奉仕において、力ある働きをするための必須条件は、世のもの、肉の思いから聖別されることです。どんなに賜物が豊かであり、一時的に力ある働きができたとしても、聖別された生き方がなければ、主の働きに用いられ続けることはできない。サムソンの生涯は、明確にそのことを教えます。ですから本日のテキストには、豊かな現代社会に生きる私たちが聴くべき神のことばがあるのです。

本論)「サムソン」

Ⅰ「ストーリー」

 ある日、主の使いがマノアの妻に現れて、男の子が生まれると告げました。そして、その子はナジル人と呼ばれる神様の御用のために働く人になると言いました。そしてナジル人の守るべき約束を教えました。それはぶどう酒や強いお酒を飲んではいけないこと。汚れた食べ物を食べてはいけないこと。髪の毛をそってはいけないこと。その三つでした。これを守るなら、その子はイスラエルを救い始めるというのです。夫のマノアにも、神はナジル人の守るべき定めを教えられました。そして、男の子が生まれ、サムソンと名付けられました。

 ところがサムソンは大人になって、ティムナに住むペリシテ人の娘とどうしても結婚したいと言い出しました。両親が止めても聞きません。そこでサムソンは両親とティムナに行き、その途中で獅子に出会いました。その時、主の霊が彼に下り、彼は獅子を素手で倒します。しばらくたったある日、サムソンはそのライオンの死体にハチが巣をつくっているのを発見しました。彼は死体にできたハチミツを集め、ナジル人が食べてはいけない汚れたものを食べてしまいました(参照 民数66節、士師149注解)

 そしてサムソンはこのティムナの娘と結婚し祝宴をひらきました。そこで彼はなぞ解きの賭けをしました。賭けをしたペリシテの人々は、なぞの答えを教えないと家を焼くと、お嫁さんを脅しました。そこで彼女は、サムソンに泣いて答えを聞きだしました。そのため賭けに負けたサムソンは、ペリシテの他の町に行き、乱暴を働き、晴れ着と着物を奪って彼らに与えました。彼は、お嫁さんに腹を立てて実家に帰ってしまったので、お嫁さんの父親は彼女を他の人と結婚させてしまいました。

 しばらくたって、サムソンが帰ってくると、お嫁さんは他の人のものになっています。怒った彼はジャッカルを3百匹つかまえ、そのシッポにたいまつをつけてペリシテ人の畑に放し、畑を焼いてしまいました。

 そこで、ペリシテ人は報復します。それに対してサムソンも報復します。そこでペリシテ人は軍隊でユダに攻めてきました。困ったユダの人々は、サムソンを綱で縛ってペリシテ人の手に渡します。その時、主の霊が彼に下り、綱を火で燃やすように解いてしまいました。彼は落ちていたロバのあご骨で、ペリシテ人を千人打ちました。

 その後、サムソンはデリラという女性を愛します。ペリシテ人は、デリラをお金で買収してサムソンの力の秘密を聞き出します。彼は秘密を守ろうと何度かごまかしますが、結局、彼はデリラに泣きつかれ、ナジル人として髪の毛を剃ったことがないのが力の秘密だと打ち明けてしまいます。そこでデリラはサムソンを眠らせて、髪を剃ってしまい、ペリシテ人を呼んで彼を捕まえさせました。こうして、サムソンはナジル人の定めを破ってしまいます。そうすると主なる神は彼を去り、彼の不思議な力は失われてしまいました。そして、ペリシテ人に目をえぐられ、なぶりものにされ、牢に入れられてしまったのです。

 しかし、牢で再び彼の髪の毛は伸び始めました。彼は本心に返って、神に悔い改めたのです。そしてペリシテ人の偶像の祭りの日、サムソンは見世物として牢から引き出されます。その時、彼は神殿を支える2本の柱をわきに抱えて祈りました。「主よ、私を御心にとめてください。ひと時でも私を強めてください。」と。そして力を込めて柱を引くと、そこにいた人々とサムソンの上に神殿が崩れ落ちました。

 

Ⅱ「この個所から教えられる真理」

 ある神学者は言います。「目の欲に従った彼は目をくりぬかれた」(小島伊助)。聖別を失ったサムソンは、偶像の神殿で見世物にされます。しかし、悔い改めた彼の祈りは聞かれ、神は彼の不思議な力を回復されました。ここに神のあわれみを見ることができます。神は悔い改めて再び神に従う者に、回復を与えておられるのです。

 

Ⅲ「あなたはどうしますか」

 罪は神の祝福を失わせます。しかし、神は一度失敗したらダメだと言われる方ではないのです。もしあなたが失敗しても、心から悔い改めて、やり直してください。

 

まとめ)「サムソン」 

 サムソンの生涯は、イスラエルの姿を描いています。聖い神の民でありながら、そのことを忘れ、汚れてしまった民にも、神のあわれみが残されています。悔い改めて「もう一度、強くしてください」と祈る態度が必要なのです。ギデオンのように慎重に御心に聴き従うこと、サムソンのように悔い改めて神のあわれみを求めることが、約束の地で堕落してしまった者の回復の道なのです。