福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

映像は古いものですが、説教は新しいものです。(すみません、動画ファイルが壊れていましたので、新しいものに更新いたしました。)

葛西説教20230122

1.テキスト「ヨハネ10:1-11

2.タイトル「良い羊飼い」

3.中心聖句「ヨハネ10:11

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」

4.本文「良い羊飼い」

 序)「弱い羊、弱い人、弱い国に現される神の力と愛」

 神様の力と愛は弱い羊、人、国に現されるのです。イザヤの時代背景も弱さで満ちていました。イザヤ書は「アモツの子イザヤの幻。これは彼が、ユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである。」(イザヤ1:1)で書き出します。イスラエル王国は、ソロモンの死後、北イスラエル国と南ユダ国に分裂します。南ユダ王国は、エルサレムを中心としたユダ、ベニヤミンの小国でした。ウジヤ王は、良い家来の助けを得て、ユダヤを軍事的にも経済的にも栄えさせ、その名声はエジプトにも届いた。しかし、彼は強くなると、心が高ぶり、祭司のなすべき香をたく仕事を自分がやろうとして、主のさばきを受けてらい病になった。そして、ウジヤ王の時代に国は富み栄えたが、一般人民の心は、ウジヤ王と同じく、見せかけの繁栄に酔い、神から離れ、社会には不義不正が満ちていたので、ウジヤ王がらい病になって死んだように、ユダも神のさばきを受けて滅ぼされようとしていた。

 そのような中、神はイザヤを通して約束されます。「義人の道は平らです。あなたは義人の道筋をならして平らにされます。」(イザヤ26:7

 義人の「弱さ」のうちに神様の力が現されるとパウロも証言します。『主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。』(Ⅱコリント12:9)と。

 ですから、私たちは「弱く」ても、神は私たちの道を平らかにされるのです。

 

本論)「良い羊飼い」

.「羊である私たち」

 イエス様はある時、集まってきた群衆に、「私はよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言われました。イエス様は、ご自分と弟子たちとの関係を、羊飼いと羊の関係にたとえて話されたのです。

 イエス様が羊飼いであれば、その飼われる羊とはだれのことでしょうか。それは、イエス様を信じてお従いする私たちのことです。では、なぜイエス様は、私たちを羊にたとえられたのでしょうか。

 皆さんは、羊を見たことがありますか。優しそうな顔をして、ふさふさの毛をしていて、性格もおとなしそうですね。羊は、その角も内側に巻いていて、他の動物を攻撃できるものではありません。性格もとても臆病です。

 このように、羊は弱い動物です。そして私たちも羊のように、敵である悪魔に対しては弱い者なのです。私たちは、悪魔に対して正しい攻撃の方法を知りません。

 羊が、自分だけで自分を守ることができないように、私たちも、自分の力で悪魔から自分の身を守ることはできないのです。もし私たちが、私たちを守ってくださるイエス様に助けていただかなければ、いつも悪魔に負けて、罪を犯してしまうことでしょう。また、正しいことと悪いことの区別もよくわからなくなってしまうのです。

 

.「良い羊飼いなるイエス様」

 羊はとても弱い動物ですから、いつも羊を守ってくれる羊飼いが必要です。

 羊は、時々、羊ドロボーに連れて行かれることがあります。羊ドロボーは、上手に羊を扱うことができますが、門からではなく、柵を乗り越えて羊に近づきます。そして、自分の欲のために羊を売ったり、殺したりするのです。

 しかし羊飼いは堂々と羊の門から出入りします。そして一匹一匹の羊に名前をつけ、その名前を呼んで羊たちを門の外に連れ出します。同じような顔をしている羊でも、羊飼いなら一匹一匹をちゃんと見分けることができるのです。羊がどんなに数が多くても、すべての羊を心から愛しているのが羊飼いです。

 同じように、イエス様も、よい羊飼いとして私たちを養ってくださいます。私たちひとり一人の名前を呼んで連れ出してくださるのです。敵からいつも守ってくださいます。それは、私たちを心から愛してくださっているからです。

 

.「命を捨てる愛」

 イスラエルの王様であったダビデは、子どもの頃たくさんの羊の世話をする羊飼いでした。自分の大切にしていた羊が熊やライオンに狙われることがありましたが、ダビデはそのたびに、命がけでその羊を助けたのです。

 よい羊飼いであるイエス様は、悪魔という敵に捕らえられ、永遠の滅びに引かれて行く私たち弱い羊を助けるために、実際に命をかけてくださいました。「羊のために命を捨てる」と言われたイエス様は本当に十字架の上でいのちを捨てて、「父よ、彼らをおゆるしください」ととりなしてくださいました。私たちは命がけの愛をもって、イエス様から愛されているのです。

 

勧め「良い羊飼い」 

 イエス様の十字架は私たちひとり一人のためなのです。私たちのために命を捨ててくださるほど愛してくださるご愛に感謝して、今年一年間も羊飼いなるイエス様に従っていきましょう。