福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年5月7日礼拝メッセージ

「主なる神を知る」

葛西説教20230507

1.テキスト「出エジプト7:1-7

2.タイトル「主なる神を知る」

3.中心聖句「出エジプト7:5

「わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」

4.本文「主なる神を知る」

 序)「災いの意味」

 エジプトに10の災いが神から下されます。なぜ、神はそのようなことをされるのでしょうか。ここで災いの背景を考えることが大切です。エジプトの王パロは、「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」(出エジプト5:2)と。このパロへの神の答えがその一つです。もう一つは、イスラエルの人々も目に見えるものに左右され、神とモーセの悪口を言う、不信仰への神の答えであったのです。

 ですから、私たちも主なる神がおられることを信じ、そして主と共に生き、罪に勝利し、見える所に左右されないことの大切さを学びましょう。

 

本論)「主なる神を知る」

.「ストーリ」

 モーセとアロンは神から遣わされ、エジプトのパロに向かって、イスラエル人を解放して、神を礼拝させるように願い出ました。しかし、パロは「主とは何者か」と言って、全く取り合おうとはしませんでした。そればかりでなく、パロはヘブル人は怠け者だと言って、レンガ作りのために与えていたワラも自分で集めさせ、なおかつレンガを作る数は減らしてはならないと、労働をさらに厳しいものにしました。そこで民は、モーセとアロンのせいで事態が悪化したと、不満をぶつけました。モーセは祈って「あなたは、少しもあなたの民を救おうとはなさいません」と、神に詰め寄りました。すると神は、このしばらくの試みは、イスラエル人が、神が主であることを知るためであると語られました。

 そこで神は、モーセとアロンに、パロの前で奇跡を行って見せるように命じられました。まず、杖を投げてヘビに変えましたが、エジプトの魔術師も同じようなことをしたため、パロは頑固に言うことを聞きません。それから、10の災いと呼ばれる奇跡が次々と行われます。1番目は、ナイル川の水が血に変えられ、飲めなくなりました。2番目は、カエルが寝室にも台所にも家中に群がって、人にまで飛びつくようになりました。3番目は、地の塵がブヨになって、エジプト中を埋め尽くしました。こんなことはエジプトの魔術師には真似のできないことでした。4番目は、アブがエジプトにだけ飛び回って刺しました。5番目は、家畜に病気が広がり、エジプト人の家畜だけみな死んでしまいました。6番目は、モーセがかまどのすすを空に散らすと、それがエジプトの人と獣について、膿が出るようになりました。7番目は、大きな雹と雷が下り、畑の人と獣、青物や木まで打たれました。8番目は、イナゴの大群が全地を暗くするまで飛んできて、わずかに残された青物も木の実も食い尽くしてしまいました。9番目は、3日間の暗やみです。どの災いのときも、パロは、苦しいときだけモーセの言うことを聞いて災いを取り除いてもらい、災いが取り除けられると、たちまち、心を頑固にして、イスラエルを解放しません。そこで、10番目の災いがもたらされます。それは、パロの子から家畜の子に至るまで、初めて生まれた子はみな死んでしまうというものです。この災いの後、ようやく、パロは、モーセたちに出て行けと言い渡しました。彼はあきれるほど頑固にヘブル人を解放しませんでしたが、これは、エジプト人が、神が主であることを知るようになるためなのでした。

 

.「ここで学ぶべき真理」

 神は、主です。「主」という字は「あるじ」とも読みます。つまり持ち主とか君主という意味です。神は世界の持ち主であり、世界の支配者です。ですから、どのような奇跡も行うことができ、どんな状況からも救うことがおできになるのです。神は、イスラエルにもエジプトにも、御自身が主であることを教えるためにこのような奇跡を行われ、イスラエルを救い出されたのです。

 

.「あなたはどうしますか」

 私たちは、神を自分の主としていますか。神がいらっしゃると信じる人は結構多いのではないでしょうか。でも、神を自分の主としている人は少ないのではないでしょうか。自分の考えと、神の言われることが異なる時、あなたはどうしますか。どう選びますか。神を主としているなら、必ず神の言われる方を選ぶはずです

 

まとめ)「主なる神を知る」

 神に従っていても、困難はあります。しかし、神は主ですから、全てを所有し、全てを支配しておられます。それなので、必ず私たちの先頭に立って、どんな状況からも救い出してくださるのです。私たちは主なる神を知り、従いましょう。