福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年12月3日(日)アドベント第一礼拝メッセージ

「イザヤ預言に聴く」

葛西説教20231203

1.テキスト「イザヤ9:17

2.タイトル「イザヤ預言に聴く」

3.中心聖句「イザヤ9:6

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」

4.本文「イザヤ預言に聴く」

 序)「クリスマスは楽しい?幸せ?」

 日本中が「商業主義の楽しいクリスマス」になっていますが。本当に幸せで楽しいのでしょうか。イザヤ書には「やみ」「死の影」(2)「戦場」(5)とありました。今はどうでしょうか。心に明るい光を持っている人は少ないのではないでしょうか。

だからこそ、イザヤ預言のメッセージである、希望も生きる目的も失った地に「ひとりの男の子が私たちに与えられる」(9)が叫ばれなければならないのです。そして聴かれるべきなのです。この男の子とは誰のことでしょう。それは主イエス・キリストです。それがクリスマスのメッセージです。

 

本論)「イザヤ預言に聴く」

.「やみの中を歩んでいた民」

 イザヤは紀元前8世紀に預言者として活躍しました。この時代、国は北イスラエル王国と南ユダ王国とに分裂し、北王国はシリヤ(聖書ではアラム)と連合して南王国を攻めましたが、勝つことはできませんでした(7:1)。それどころか、当時の大帝国アッシリアが北王国に侵入し、紀元前732年に北王国の北部分、「ゼブルンの地、ナフタリの地」を荒らしたのです。

 イザヤは南王国に住んでいましたが、同胞が争い合い、また北王国が踏みにじられている姿を見て、心を痛めました。その時に神は三つのメシア預言を与えられました。7:14のインマヌエル預言、そして9:611:1です。

 今も国と国が争い合うのは、「やみ」の特徴ではないでしょうか。戦争がどれだけ多くの人の命を奪い、国土を荒らしてきたのでしょうか。イザヤの時代から700年余り、ローマ帝国は軍事力で諸国を押さえつけました。そして現代も、戦争は後を絶ちません。「やみ」が続いています。

 

.「大きな光を見た」

 そのような時、イザヤは預言します。神は「海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた」と。これらは、当時アッシリアに占領されていた地域です。そして、イエスがその公生涯の多くの時間を過ごされたのもこの地域でした。ヨハネの福音書は、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」(1:9)と記します。イザヤ預言は、イエスの誕生により成就しました。

 イザヤはさらに、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」と、未来のことをさも実現したかのように記します。これは預言者が良く用いる用法だと言われています。そしてこの光ゆえに人々は喜ぶのです。それは、神が「しいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたから」です。士師記7章にあるように、神はたった300人の手によって、135千人の敵を打ち破られ、平和をもたらされました。それと同様に、神は御子イエスという一人のお方によって、強敵サタンを打ち砕き、まことの平和をもたらされようとしているのです。

 

.「やみと光の戦いに再臨が終止符を打つ

 本日の中心聖句は「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる」です。このことばは、インマヌエル預言に続いていることを忘れてはいけません。神は、政治的、軍事的権力を持たない、みどりご、男の子を与えられるのです。しかしその子が、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるのです。

 不思議とは人間の知恵やことばを超えた神の存在を表し、助言とは王の側近です。イエスはあらゆる問題についての助言者、相談相手なのです。永遠の父とは、直接的にはイスラエルの民に対する保護です。新約聖書的にはクリスチャンに対しての永遠の父です。平和(シャローム)は健康、平和、健全、安全、充足を意味します。メシアは敵を倒します。それは新たな軍備ではなく、その恵みによる統治によって、完全な平和を世界にもたらすことが預言されています(6.7)

 イエスは、ローマの支配からイスラエルを解放する救世主(メシア)として来られたのではありません。それで何の地上的な権力を持たれませんでした。そういうお方を、本当の救い主として受け入れる人こそ、「神の国」に入れる人です。イエスの使命は、人々を「暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ」(使徒の働き26:18)ることでした。

 イエスの時代、救世主を待ち望む多くの人々がいましたが、このことを理解できたのはほんの少数でした。今の時代も同じですね。やみが支配していると感じられるこの時に、私たちは主が再びおいでになり、「神の国」を実現なさると信じています。そう信じる者の心に、主は「ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる」のです。

 

結論)「イザヤ預言に聴く」

 イエスの降誕を待ち望んだ人々と同じように、私たちはイエスの再臨を待ち望みます。その時こそ、まことに平和な世界が実現するからです。私たちはこの希望に生き、まず光なるイエスを受け入れ、そしてその光を周囲に輝かそうではないでしょうか。