福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年12月3日(日)アドベント第二礼拝メッセージ

「イエスの誕生」

葛西説教20231210

1.テキスト「マタイ1117節」

2.タイトル「イエスの誕生」

3.中心聖句「マタイ116節」

「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」

4.本文「イエスの誕生」

)「一見、退屈に感じる系図の意味」

 私たちにとって系図は退屈で、スペースの浪費と感じるかも知れません。しかし著者のマタイたちユダヤ人世界にとって、系図は極めて重要なものでした。彼が系図を記したのは救い主イエスを明らかにするためでした。幾つかの重要な要素が系図に含まれています。

 一つは、神の救いの働きとして、旧約聖書のイスラエルの歴史の中でイエスを明確に位置付けています。二つ目は、系図を14代のグループ三つにまとめ、イエスにより預言成就の時が到達したことを明らかにしています。三つ目は、ダビデによる王権の樹立とバビロン捕囚による王権の喪失を記すことにより、失われたダビデの王権がイエスにより真に回復、確立したことを明らかにしています。

 

本論)「イエスの誕生」

.「系図が示す救い主イエスの誕生」

 先に話しましたが、私たちには名前の序列にしか思えない系図ですが、ユダヤ人にとって、それは自らの血統を証明する重要な文書です。しかも、ここには旧約聖書の重要人物が次々と登場します。マタイは、イエスが単なる「ナザレの田舎者」ではないことをユダヤ人に知ってほしかったので、このように書き出したと思われます。

 また、この系図には、普通当時のユダヤでは載らないはずの女性の名前が4名も記されていることも重要です。「タマル」は近親相姦で身ごもり、「ラハブ」は異邦人の遊女、「ルツ」も異邦人、そして「ウリヤの妻」はダビデの不倫の相手でした。このような罪の現実のただ中に、救い主イエスはお生まれになりました。ただ、罪びとを救うために。

 

.「ダビデ王の子孫としての誕生」

 この系図の中で、「王」ということばはただ一度、ダビデにだけ用いられ、その後に13人の王の名が続きます(4人の王が意図的に省かれています)。このようにダビデが特別扱いを受けているのは、メシアはダビデの子孫として生まれると、預言者たちが預言したからと言われています。例えばイザヤ書11:1にも「エッサイの根株から新芽が生え」ると預言されています。エッサイはダビデの父親です。ナザレのイエスは、預言通りにダビデ王の子孫であるということが、マタイの言いたかったことに他ならないと言われています。

 ダビデ王は、この系図の中ではいわば頂点に置かれています。アブラハムに与えられた神の約束、創世記12:2「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」は、確かにダビデ王まではその通りに実現し、国は右肩上がりでした。しかし、ソロモンの死後、国は分裂して衰退しはじめ、ついには「バビロンへ移され」るまでになりました。それも単なる引っ越しではなく、捕囚という悲劇的な出来事でした。それは右肩下がりの歴史でした。

 そして、捕囚後にはもはやイスラエルに王は存在しません。ゾロバベル(旧約聖書では「ゼルバベル」)は捕囚から帰還した民の総督に任ぜられましたが、それ以降の人々は、旧約聖書には何の記述もありません。おそらくマタイは、マリヤの夫ヨセフの家に受け継がれている系図を手に入れて、この系図を完成させたと思われます。

 主イエスは確かにダビデ王の子孫でした。しかし、民衆とかけ離れた王家に誕生されませんでした。貧しい普通の家庭にお生まれなさったのでした。

 

.「ヨセフとマリヤの子として誕生」

 この系図はヨセフの家系を示していますが、注意しなければならないのは、主イエスが処女マリヤからお生まれになったのなら、父ヨセフの血筋を継ぐ者ではないという点です。マタイは、ヨセフからではなく、「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」と言いながら、あえてヨセフの系図を掲げています。それは当時のユダヤの律法では、父親の立場にいる人との法的な関係こそ重要だったからです。

 イエス・キリストがこの地上に誕生なさるためには、母親のマリヤだけではなく、父親のヨセフも必要でした。マタイはこの事実を重く見て、このあと、主の使いがヨセフに現れたことを記します。ルカがマリヤの不思議な経験を書き記すのと対照的です。クリスマスには、マリヤが教会の劇などで脚光を浴びがちと感じますが、ヨセフもまた、重要な人物です。王家の血統でありながら、この時代には寒村な田舎のナザレで大工をしていたヨセフを、神は主イエスの父親として選ばれたのです。

 

まとめ)「イエスの誕生」

 イエスを「ナザレ人」としてさげすんで呼ぶ人々に対して(ヨセフ1:46)、マタイはこのお方こそ王なるキリストであることを知らせるためにマタイの福音書を記したのです。私たちも次のことを忘れてはいけません。神であり王であるお方が、貧しく低き人としてこの地上にお生まれになったことを。

 まだ私たちのために誕生されたイエスを信じておられない方は、信じて罪の赦しを受けてください。そしてすでにイエスを信じている私たちは、このクリスマスに王なる救い主の誕生を、喜びの知らせとして人々に宣べ伝えましょう。