福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年10月1日 礼拝メッセージ

「神のようになる罪」

葛西説教20231001

1.テキスト「創世記3124節」

2.タイトル「神のようになる罪」

3.中心聖句「創世記322節」

「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。」

4.本文「神のようになる罪」

 )「悪の起源ではなく、救いの原点」

 本日の聖書が私たちに教えることを短く言うと、善悪を知る知識の木の実を食べることは、人が善悪を勝手に定めるという罪なのです。それは私たちが罪の影響から、都合の良いことは善で、都合の悪いことは悪と決めることになるからです。

 またエバは、「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り」によって罪を犯しますが、私たちもこのような欲がないでしょうか。

 そして私たちが誘惑に勝つには、また罪を犯したらどうすべきなのかが記されています。

本論)「神のようになる罪」

Ⅰ「本日の聖書の要約」

 本日の聖書箇所を要約します。エデンの園は、きれいな花やかわいい動物が住むすばらしい所です。最初の人、アダムはここを耕して守っていました。あるとき神は一つの命令を出されました。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」という命令でした。園には数えきれないほどの木が実をつけていましたから、たった一本の木だけのことなら、約束を守ることは簡単なように思えました。そして、妻のエバにもこの約束をちゃんと教えておきました。

 ところがある日、ずる賢い蛇がやって来ました。サタンはこの蛇のずる賢さを利用してエバを誘惑しました。「神は園のどの木の実も食べてはならないと言われたのですか」と。神がすごくケチで厳しい方のような言い方でした。エバは「いいえ、そうではなく園の中央の木の実はだめで、触ってはいけない、死ぬといけないから」と蛇に話しました。すると蛇はすかさず、「それはウソです。絶対に死にません。それを食べると目が開けて、神のように善悪を知ることができることを神は知っておられるのです」と。神が悪意を持っていてウソをついているのだと思い込ませました。こうしてエバはまんまとサタンの誘惑にだまされてしまい、「善悪を知る木」に近づきました。そして「この木の実は本当においしそうできれいで、賢くなれそうだ」と思ったので取って食べ、自分だけでなく一緒にいたアダムにも分け与えました。とうとう二人とも神との約束を破ってしまったのです。善悪は神だけが定められるものであるにも関わらず、人が自分勝手に善悪を定めるのは、人が神に取って代わる傲慢なことなのです。この的外れた行いが「罪」です。とうとうアダムとエバは神の子のいのちを失って死ぬことになり、神のさばきを受ける者になってしまいました。人が造られた目的は、神の子として神に教えられ、導かれて神に似ることでした。しかし人は、自分勝手に善悪を定め、神に取って代わって神のようになろうとしました。その結果、罪のなかったエデンの園に罪が発生してしまったのです。

Ⅱ「本日の聖書のポイント」

 本日の聖書のポイントは何でしょうか?本日の聖書のポイントは、罪からの回復と勝利です。それは「悔い改め」からスタートするのです。それが救いです。

 神は、「あなたはどこにいるのか」とアダムとエバを呼ばれました。しかし二人は自分たちの犯した罪の恐ろしさに気づき、木の間に身を隠しました。神と顔を合わせることなどできませんでした。神に見つかって、罪を指摘されたときにも、自分の罪をごまかそうと、アダムは「あなたが一緒にしてくださったエバに食べさせられたのです」と言い。エバは「蛇にだまされたのです」と、二人とも弁解をして他に罪をなすりつけました。本当は、神は二人が正直に罪を悔い改めて神のもとに帰り、再び神の子として、神に教えられ、導かれて神に似てその霊が成長し、永遠のいのちを得ることを願っておられたのです。

Ⅲ「私たちの生活に置き換えると」

 では、本日の聖書のポイントを、私たちの生活に置き換えるとどうなるのでしょうか。

 どうですか?私たちは、自分勝手に善悪を決めつけていないでしょうか。自分に都合の良いことは善で、都合の悪いことは悪とすることです。聖書はそれが罪だと言います。

 また、罪を自らのこととして認めず、他に転嫁していないでしょうか?

 聖書は教えます。(ローマ 2:1)「すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」と。

 

まとめ)「神のようになる罪」

 自分勝手に善悪を定めてはいけません。善悪は神が定められます。神の目で見た善悪を聖書から学び、聖霊に満たされましょう。また、私たちが罪を犯してしまったら、神は同じように「あなたはどこにいるのか」と捜されます。その時はどうか、自分の罪を認め、悔い改めましょう。再び神の子に戻れるのですから。

 

 また、このように祈りましょう。「神様、神様からいつも離れないでいられるように。また、自分が神よりも偉いと思わないで、いつも従順に神に従えますように、守ってください」と。