福音伝道教団

葛西福音キリスト教会過去説教(2016年5月)


以下に葛西福音キリスト教会で語られた説教をご紹介します。

福音伝道教団

タイトル「神の愛から来る希望」2016年5月29日(主日礼拝説教)

 はじめに、「『氷点』にみる絶望から来る自殺」

 氷点は朝日新聞社の懸賞小説として19647月に当選が発表され、その後同年12月から翌年11月まで朝日新聞社の朝刊に連載された小説です。この小説で三人の人間が、絶望から自殺を選びます。一人は28才の青年、正木次郎です。彼は明日が退院予定、職場の銀行にも復職でき、両親は健在、父は小学校の校長で何の問題も無かった。しかし、彼の遺書には、自分をどうしても必要と言ってくれる世界が無いから死にます、とあった。主人公の陽子は「誰かに強く愛されていたら死ななかったと思う」と言います。2人目は開拓農家の未亡人で、泥棒に現金二万円を盗まれ、一家心中してしまいます。陽子の父啓造は、二万円というわずかに思える金額でも「ある限りの力をふりしぼって走っている時には、小さな石につまずいても起き上がる力はない」と未亡人の気持ちを想像します。この2人の死から、人間が死のうとする時には、他のものがうかがい知ることのできない、絶望があると、作者の三浦綾子は記します。最後は主人公の陽子です。陽子は自らの出生を知り、父の犯した許し難い犯罪者の血が自分に流れていることを思うときに、自分の中にもある罪の可能性を見出し、生きる望みを失います。遺書の中で「私の心は凍えました。「陽子の氷点は、『おまえは罪人の子だ』というところにあった」」と残して服毒自殺を図ります。 

 私は著者の三浦綾子が『氷点』で、この三人の自殺に対して誰かからの強い愛が示されたならば、救えたのではないかとの可能性を訴えているように読めました。皆さんは誰かから強く愛されていると感じていますか。何かのギブアンドテイクの愛ではなく、無条件の愛で愛されていると感じていますか。今日のテーマはローマ人への手紙5章1~8節から「神の愛から来る希望」についてみて参りましょう。

本日のテーマ)「神の愛から来る希望」 (テキスト ローマ人への手紙5章1~8節)

Ⅰ.神を信じる者は患難をも喜ぶ(35) 

 パウロはローマ人への手紙5章12節で神を信じる者の得る恵みについて語っています。信仰によって義とされ、さらに神様との平和を得ると。それは放蕩息子が悔改めて父の元に帰って来た時に、過去の父への無礼を許されるのみか、息子として大歓迎されるごとくなのです。イエス・キリストの十字架を信じる者は、罪を許されるのみか、神の子どもとして神の守りと祝福を当然受けるべき者として神に受け入れていただけるのです。

 さらにパウロは3節で、「患難さえも喜んでいます」と言っています。クリスチャンは地上での生涯を歩む間は様々な困難や迫害苦痛を味わうこともあるでしょう。しかし、パウロは患難さえも喜んでいると、この世の人々の驚くようなことを言います。それはパウロが神の愛を知っているからでした。ですから、患難は忍耐を生み出し、忍耐は品性(練達)を生み出し、練られた品性は希望を生み出す。この希望は失望に終わることはありません。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」と私たちに教えています。『氷点』での三人が愛の欠乏によって絶望し自殺したのに対して、パウロは神の愛が注がれているから「患難さえも喜んでいます」と言えたのでしょう。 

Ⅱ.神の愛は十字架に表された(68) 

 では、その神の愛といかなるものなのでしょうか。果たして、私たちは神に愛される資格のあるものでしょうか。聖書は神が聖なるお方、義なる正しいお方だと教えます。私たちは自らの胸に手を置いて愛される資格があるかどうか、これは人には隠され分からないことでも、自分自身は良く知っているのではないでしょうか。 

 しかし、パウロは神の愛は十字架に表された。罪人のためにこそ、神の愛は示されたと教えています。6節「キリストは…不敬虔な者のために死んでくださいました」。8節「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 

 パウロは自らが愛される価値の無いもの、滅び行く罪人であるのにも関わらず、イエス・キリストの十字架の救いを信じることにより、神の無限の愛を受け、罪を赦され、神の子として生きる希望をいただいたことを知っていたのでした。ですから、彼は「患難さえも喜んでいます」と言え、そのように地上の生涯を生きることができました。 

勧め「神の愛から来る希望」を信じてください。 

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5章5節)

 

 ①「神の愛から来る希望」をあなた自身のものにするには、イエス・キリストの十字架をあなたの罪のためだと信じてください。そしてあなたの罪はイエス・キリストの十字架によって赦されたと信じてください。そうするならば、この世の困難出来事が嵐のようにあなたを襲う時、神は心に平安を与え、そして失望に終わることのない希望であなたを満たしてくださいます。またパウロのように「患難さえも喜」ぶ喜びは、あなたのものとなるのです。 

 ②また、聖書の神を信じてはいるのだけれども、クリスチャン人生の長い道のりの中、このパウロの確信を失い、忘れてしまうこともあるでしょう。そういう人は、神の前にそのような自らを悔改めて、さらに神様に聖霊の恵みの働きによる神の愛を心から信じて生きることができるようにお祈りしてください。神は必ず、再び聖霊の働きを通して神の愛であなたを満たし、パウロの信仰の確信をあなた自身の確信とする者と成長させてくださいます。