福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

メッセージの音蔵のご紹介

 福音伝道教団でご奉仕された先生がたのメッセージを皆様のお耳に直接お届けするページ「メッセージの音蔵」をご用意しております。右上の緑の「メッセージの音蔵」をクリックしていただくと、日本の福音派で用いられておられる先生方のメッセージをお聞きいただけます。

以下に葛西福音キリスト教会で語られた説教をご紹介します。

聖書のお話し

2017年4月説教


福音伝道教団

葛西福音キリスト教会説教2017年4月9日(主日礼拝)

1.テキスト「使徒の働き11節」

2.タイトル「生けるキリストの働き」

3.中心聖句(ヨハネ738節)

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

4.本文「生けるキリストの働き」

 序)「ルカ福音書の続きです。」

 「使徒の働き」は「ルカ福音書」の続きとなっています。

 この書のタイトルは「使徒の働き」です。その意味は説明してなくてもわかると思いますが、使徒たちの伝道記録です。しかし、この書の中には復活され、天に昇られましたイエス・キリストの働きが記録されているのです。ルカ福音書を見るならば、「それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。」(ルカ245051節)。ルカの福音書だけを見るならばイエス様の昇天はイエスの行いと、働きの終わりと読めるでしょう。しかし、「使徒の働き」を読むならばイエス様の昇天はイエス様の働きの終わりではなく続きであり、新しい始まりなのです。

 イエス様がこの世を去って行かれることは悲しむべきことのように思われますが、「使徒の働き」を読むならば新しいスタートであり、喜びと希望、神の力に満ちた、目には見えませんがイエス様と弟子たちの新たなるスタートとなっていることが学べると思います。

 皆さんも喜びと希望、神の力に満ちた、目には見えませんがイエス様との人生、教会の礼拝や伝道を体験したいと思いませんか。ではご一緒に、祈りつつ、聖霊様の導きを求めつつ、聖書の語りかけに耳を傾けてまいりましょう。

 

本論)「生けるキリストの働き」

 「使徒の働き」に見る生けるキリストの働きを見てまいりましょう。

. 「ペンテコステの恵み」

 「神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」(使徒の働き223節)

 まず、第一に、それはペンテコステの恵みです。それはキリストの働きなのです。ペテロはそのことを「使徒の働き」の中で説教しています。神様はどんな管を通して私たちに聖霊様を与えてくださるのでしょうか。それはただイエス様によって与えられるのです。ですから、神学者が言うように、私たちは自分たちの熱心によって、また自分の献身によって、あるいは祈祷によってではなく、イエス様によってなのです。誤解を招かないように言いますと、献身や祈祷は大切なものですが、聖霊様と私たちとの関係は目に見える方法や形よりも、私たちの信仰や兄弟姉妹の一致、愛、相互の許し合いや補い合う関係が、イエス様が望まれ、聖霊様の宮とされる私たちに求められるということです。今日のところはペンテコステの恵みがイエス様の働きによるとだけお話しするにとどめさせていただきます。この先の個所でもう少しお話することになるでしょう。

 

.「御名による奇跡の恵み」

 「この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」(使徒の働き410節)

 次に、足の不自由な男の癒しにもイエス様の働きを見ることができます。弟子たちは主イエス様の御名によって病気の癒しを行いました。このことは私たちにとって大切なことです。神様を信じてクリスチャンになり、教会に加えられたからと言って、私たち自身が何か特別な能力や身体的に変化することはあまりないと思います。ペテロも「私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」(使徒の働き312節)と言っています。しかし、主イエス様の御名を信じる信仰はクリスチャン人生に、また教会に奇跡を起こすのです。

 

.「イエス様はどんな時も、恵もうと愛そうと見ておられる」

「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て」(使徒の働き755節)

 第三番目に、最初、教会の給食係として任命されたステパノが、後に彼はいのちを捨ててイエス様を証しました。その彼が聖霊様に満たされ、殉教するときの聖書のことばです。ステパノが迫害の中、イエス様がその働きを天から眺めておられ、そして彼を天に受け入れてくださる恵みを私たちは知ります。

『こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。』(使徒の働き75960節)。ステパノの最後はまさにイエス様のようでした。私たちは弱い存在です。まさに誰かの言葉の通り「人間だもの」なのでしょう。しかし、どんなときにも、イエス様は私たちに目を注いでいてくださるのです。ですから、私たちが苦しい時、悲しい時、私たちは一人ではないのです。またどのような人生の最後を迎えるとしてもみじめではないのです。力ある主が、慈しみ深き主が私たちを見ておられるのですから。

 

.「どのような罪びとも救いに導く恵み」

 『彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」』(使徒の働き956節)

 イエス様を信じる人々を迫害していたサウロが悔い改めに導かれたのはイエス様の恵みであり、お働きでした。サウロはステパノが人々から石で打たれて殉教するところに立ち会っていました。しかし、イエス様に降参したのです。すなわち、イエス様に全く身も魂も献げました。これまで、悪魔に仕えるものでしたが、イエス様に仕えるものに変えられました。

 私たちも伝道する中で結果が見えずに苦しみ、疲れ果てることがあるかもしれません。しかし、今も生きて働かれるイエス様の恵みに期待しましょう。聖書がそのように私たちに教えているのですから。

 

勧め「生けるキリストの働き」

 私たちは今も「生けるキリストの働き」に期待しましょう。「生けるキリストの働き」は「ペンテコステの恵み」であり、「御名による奇跡の恵み」であり、「イエス様はどんな時も、恵もうと愛そうと見ておられる」恵みであり、「どのような罪びとも救いに導く恵み」なのです。それが私たちと教会の希望なのです。